第一章 村名及び字名(あざめい)の起原

第一節 村名 滝沢村

字名

 現在の大釜・篠木・大沢・鵜飼・滝沢の五つの大字中、最広の区域が大字滝沢であったから、明治二十二年町村制実施に当り、現在の大字滝沢を村名となしたという。

第二節 大字名

一 大釜

 前九年の役に、源義家が太田の方八丁に陣地を構え、現在の天昌寺である安倍館を攻略しようとしたが、雫石川の水かさが高く人馬の渡河思うようにならず上流の適当な場所を選定し、大釜の日向対岸より渉り、この地に巨大な釜を据え、兵馬に糧食を給与し、ここから東下して安倍館を攻略した。その跡が今もなお現存している。俗に、これを釜口と呼び、この地域を大釜と呼ぶようになった。

二 篠木

 桓武天皇の延暦年間(800年頃)に坂上田村麻呂が東夷を征討し、進んで霧山嶽(岩手山の古名)の賊酋大武丸を誅戮し凱旋するに際し、知勇にすぐれた斎藤五郎兼光に命じて「汝此地に永く寒暑をシノギ以て鎮撫の任に当れ」のシノギから地名が出たという。

三 大沢

 奥羽山脈の支脈である滝沢山脈中に湯の沢と五郎沢があって、これが合流して大きな川となる。これが大沢の因って出た地名であるという。

四 鵜飼

「第十一世信長が元弘元年(1331年)糖部(ぬかのべ)より、岩手郡厨川の工藤光家の居館不来方を攻め、信長の弟仲行を不来方の南館に置いて目代とし、重臣福士慶善を北館におき仲行の副とす」と『南部史要』にあり、盛岡砂子には「永享十一年(1439年)福士庄太郎政則軍功に依って岩手郡不来方郷を賜う」とあり、天正二十年(1592年)の書上にも不来方城主福士彦郎とある。

 盛岡城の築城について『南部史要』の第二十六世信直公に「文禄二年(1593年)三月世子利直土工を起して不来方に築城す。この年不来方を改めて盛岡と名づく」とある。元和のころ(1615-1624年)南部利直が鵜飼に御仮屋を設けたといわれ、『南部城事務日記』の慶安四年(1651年)七月二十九日の条に「鵜飼御仮屋御作事奉行下河原武右ェ門鶏冠井四郎右ェ門申付」とあって修理をなし、同記の明暦二年(1656年)十月二十九日曇の条に「鵜飼御仮屋の番仕居候官手蔵兵ェ江戸へ詰させ代(かわり)山口三右衛門今日申付」とあり、『雫石才代日記』に(旧文書→)とある。

 南部利直が盛岡に移転後、時折、現在役場の処にあった御仮屋(後代官所→七戸氏→本宿肝入)に鷹狩等のときの休憩所とされたのであるが、公大いに鵜を愛し、これを庭池に飼養されたところから鵜飼の名が起ったという。

 なお福士家の記録によれば、文禄三年(1594年)福士伊勢の代に、利直から鵜飼村に移るように仰せ出され、福士を鵜飼と名乗るように命ぜられている。

五 滝沢

 奥羽山脈の支脈である滝の沢山に一つの渓流がある。それが急流となり、浅瀬となり、滝となる処が数ヵ所。よってこれを滝の沢となづけ、今も大小二つの流れがある。これが滝沢の起因である。

滝沢村大字区分図→

第三節 小字名

一 大釜

 第一地割鬼ガ滝、“二”仁択瀬、“三”沼袋、“四”塩ノ森、“五”吉水(よしみず)・吉清水(よしみず)、“六”中道、“七”高森、“八”風林、“九”大清水、“十”埖溜(ごみたまり)、 “二十”中瀬(ぜ)、“二十一”竹鼻、“二十二”土井尻、“二十三”荒屋敷、“二十四”田ノ尻、“二十五”外館(そとだて)、“二十六”大畑(おおばたけ)。

二 篠木

 第一地割矢取森・長沢・苧桶沢(おほけ)、“二”地獄沢、“三”仁佐瀬、“四”中村・中将、“五”上(わ)篠木、“六”一ツ森・砥(と)石沢・水上沢(みずあげざ)・鳥谷平(とりやひら)・舘ヵ沢・中鼻(なかはな)・大寺沢・寺沢、“七”堤・参郷ノ森、“八”荒屋・中屋敷、“九”中村・綾織、“十”綾織・小谷地、“十一”明法(みょうほう)、“十二”参郷・黒畑、“十三”黒畑、“十四”樋(とい)ノ口(ぐち)、“十五”待場。

三 大沢

 第一地割外山野・称作畑・早坂・水穴沢、“二”箸木平、“三”館、“四”割田、“五”篭屋敷、“六”鶴子、“七”谷地上、“八”鶴子・長坪、“九”堰合、“十”二タ又、“十一”新道、“十二”升村・下屋敷・米倉、“十三”谷地中、“十四”小谷地・四ツ家。

四 鵜飼

 第一地割姥屋敷、“二”安達(あだち)、“三”鬼越・花平・沼森・臨安(りんあん)“四”上鵜飼、“五”清水沢、“六”外久保、“七”上前田・高坊、“八”上(かみ)山、“九”御庭田(おにわだ)・稲荷・鳥谷平(やひら)、“十”家近(かじか)森・鮫(かじか)森、“十一”中鵜飼、“十二”迫(はさま)、“十三”洞畑(ほらばたけ)、“十四”狐洞(ぽら)、“十五”向(むかい)新田“十六”先古川、“十七”下鵜飼、“十八”八人打、“十九”滝向(むかい)、“二十”下前田、“二十一”樋(とい)口、“二十二”年毛(としもう)、“二十三”上高柳、“二十四”笹森、“二十五”下高柳、“二十六”高柳、“二十七”石留(いしどめ)、“二十八”諸葛川、“二十九”大綾(だるみ)、“三十”白石(しらいし)・下前田、“三十一”細谷地。

五 滝沢

 第一地割黒沢、“二”平蔵沢、“三”高屋敷、“四”高屋敷平・大久保、“五”耳取・室小路(むろこうじ)、“六”土沢、“七”中村、“八”外山“九”称宣(ねぎ)屋敷、“十”湯舟沢、“十一”卯遠(うとう)坂・木賊(とくさ)川・根堀坂牧野林、“十二”穴口、“十三”巣子・狼(おいの)久保・葉ノ木沢山・明神平、“十四”蓬立(よむぎだち)・妻(さい)ノ神(かみ)、“十五”新田・未代窪(みだいくぼ)、“十六”松屋敷・楢木、“十七”楢木沢、“十八”野沢、“十九”大崎・簗(やな)平、“二十”砂込(こみ)・加賀内・弥(や)兵ェ林、“二十一”一本木、“二十二”柳原・長太郎林、“二十三”留(とめ)ガ森、“二十四”後(うしろ)・大森平(だいら)、“二十五”大石渡・柳沢・岩手山。

滝沢村小字区分図→

滝沢村地勢図→