やさしさに包まれたまち滝沢

令和6年1月1日~市制施行10周年

 

 

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滝沢市指定史跡 追分けの碑

(写真 追分の碑)  追分けとは道の分岐のことで、そこに立つ道標を追分け石といいました。この地は明治期に整備された新陸羽街道(国道4号線)と鹿角街道(国道282 号線)の分岐点で、滝沢市の鵜飼方面及び滝沢駅方面にも通じ、「分レ」の通称で親しまれていますが、同時に岩手山参道の入口でもあります。
  この追分け石は鹿角街道と岩手山参道(柳沢口)との角に立ち、岩手山参道の入口を示すものです。
岩手山は岩鷲山大権現として崇敬され、奥宮は山頂にあり、柳沢、雫石、平笠(西根町)の登山口にはそれぞれ里宮(新山宮)がありますが、柳沢口は盛岡からの正参道でありますので柳沢の新山宮(岩手山神社)はその中心で城下にもその新山宮(岩手山神社)が置かれています。
  盛岡の町人講中により文政二年(1805)には登山口から頂上まで道しるべ十本が建てられ、安政四年(1857)には道しるべと頂上お鉢に三十三観音石像が奉納されました。

  『内史畧』には
「丁巳同年(安政四年)閏五月十二日惣市中兼々信仰の者より御殿(頂上奥宮)迄の間、参詣の道しるべ、三十三観音の像、石にて彫奉納。右講中同日白木綿に観音の像を背に染め、上着に用い参詣。夕顔瀬片原丁に神楽等これ有り、往来筋大いに賑ひ参詣群集す。比賦方人足七百人也と云々」
とあり、当時の盛んな岩手山信仰が知られます。

  安政三年の追分け石は、この三十三観音の前年に同じ盛岡講中より建てられたもので、文化四年の追分け石とともに、岩鷲山正参道の入口を示し、往時の岩手山信仰をしのばせる史跡として重要です。

 

(写真)追分の碑

左:安政3年(1856)建立
高162cm幅44cm奥行35.5cm
右:文化4年(1807)建立
高102cm幅55cm
 

 

  • 所在地
    滝沢市巣子258番地21
  • 所有者
    岩手山神社
  • 指定年月日
    昭和54年10月1日

 


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