第六章 動物

第一節 野生動物

藩政時代

 南部領の山野には鹿が群棲していて、第二十八世重直は鹿狩を開催し、多数の鹿を捕獲している。場所は不明であるが、正保四年(1647年)十二月十三日、八、〇〇〇人の勢子を動員して六六六頭を捕り、それから、一カ月経って正月十二日、再び鹿五百九十五頭、兎九疋、狐五疋、狼二疋を捕獲している。鹿皮は三月江戸皮屋に発送している。

 慶安二年(1647年)十一月二十日、福岡より花巻まで一〇〇石当り五人宛の勢子を動員、長坂山に鹿狩りをやり、鹿四一七頭、狐五疋、猪十三頭を捕っており、約一カ月後の十二月十三日、栗谷川楢木沢にて鹿狩りをやり一千六百二十頭、狼五疋、兎二疋、狐二疋を捕っている。

 慶安四年十二月六日、勢子八千百余人を動員し、最初栗谷川松屋敷山に狩り、翌七日は河東の長坂山・上田山、九日は米内山を捲いたが、獲物は四百十四頭、その中に猿や兎も若干あった。

 平常濫獲は禁止されていたと知られるが、盛岡城を中心として、即日に狩猟し得る範囲にさえ、この様に群棲のあったことが知られる。

 鹿の外に、猪・狼が平常生棲しており、藩政の末までその記録がみえており、野生動物では、あおしし・猿・熊が平常捕獲されている。なお狼害については、第四編農民生活の変遷第二章第七節狼害を参照せられたい。鳥類では鶴・白鳥の飛来は珍しくなく、雁・鴨・雉子も平常捕獲されている。従って幕府への恒例献上品目中に、鶴・白鳥・菱食や、寒中の雉子が数えられているのは当然と言える。

第二節 鳥獣保護センター

鳥獣保護センター内

 昭和四十六年五月十二日、第二十五回愛鳥週間の一環である「全国野鳥保護のつどい」が常陸宮ご夫妻をお迎えして、盛岡市の県公会堂で開催された。

 同日、本村砂込の岩手県鳥獣保護センターの開場式が、同センター内の広場で行われ、常陸宮ご夫妻が記念の植樹(イチイ)と放鳥をされた。

 ここは県のキジ養殖場の東側に隣接する約一五〇aのカラマツや雑木林で、周辺は農業研究機関の団地で、鳥獣には恵まれた環境にある。

 今まで、自然界の動物を保護するため、鳥獣保護区を設けたり、巣箱づくり運動、愛鳥週間等その対策を進めてきたが、一方では、開発が進むにつれて、自然界の動物の生息区域がせばめられている。近年とくに、農薬の普及によって鳥が追いはらわれ、雌キジやカモシカも無法ハンターのため傷つくなど、自然界の動物にとって住みにくくなっている。

 同センターのねらいは、野鳥の生態を野生の姿のままで観察が出来、また、渡り鳥が途中で、エサをとったり、水浴びが出来る「いこいの場所」とし、また、カモシカやシカ、白鳥等が傷ついた場合は、ここで回復するまで収容をする「鳥獣の保養所」としている。