第十四章 滝沢村の所得と生活

 『滝沢村の実態とその基本的開発構想』によれば、本村における交通・流通の実態を分析していえることは、現在のまゝでは本村を地域化するだけの特化力は強いとはいえない。すなわち、今までの分析から本村の第三次産業や、交通、流通機構は盛岡市の都市力に支配され、本村の東南部は都市化の影響が強い。そうかと思えば、本村の西北部や北部一帯は、盛岡市との距離は近いが、遠郊的である。これが本村の大きな特徴でもある。つまり二種構造を有することになっている。

 本村は都市に隣接するが、農業就業者一人当りの農業生産所得は十一万六千円である。これは低い。都南は十四万五千円、矢巾が十二万六千円で、これらも高いとはいえない。全県のそれは七万四千円、全国的には九万七千円であるから、本村の場合はそれよりは高くなる。雫石・盛岡・松尾・岩手・西根の各市町村はそれぞれ十万円以下、本村周辺隣接地で玉山村だけ本村と大体同じで十一万一千円である。

 農業生産所得に反し、林業就業者一人当りの林業生産所得は百九十五万三千円、同じく山林の多い玉山村は二百九万五千円であるが、岩手町・西根町・松尾村・雫石町・盛岡市の林業生産所得は低い。都南には山林がなく、矢巾は八十八万四千円である。全県では六十八万二千円、全国的には五十万円である。

 本村の就業者一人当りの所得は十七万二千百五十九円で、県民一人当りの二十四万九千六百五十七円の六九・〇%にしかすぎないのである。また、本村の一人当りの個人所得は九万七千九十円で、県民一人当り十一万三千四百四十六円の八五・六%に当る。なお、本村民一人当りの分配所得は九万七千七百十五円で、県民一人当り十一万五千三百八十四円の八四・七%に当るのである。

 とかく、近郊村は都市が拡大するに従って蔬菜栽培面積も多くなり、耕地利用の回転も速くなり、通勤者も増加し、所得も増加してくる。その結果生活が変化し、農村の細胞的地域構造が変化し、また、景観も変貌するのである。

 生活を観察する尺度には色々な分野からなされるが、今日的で、しかも、最も一般的なものはテレビの普及率である。その普及率を昭和三十八年度にみると、本村は四八・九%、同じ郊村である都南は六九・四%、矢巾は六〇・〇%、盛岡は五八・四%である。盛岡市のごときは、農業を営む家庭が多いのであるが、よく普及している。玉山村四六・五%、岩手町四〇・〇%、西根町五一・〇%、松尾村五三・四%、雫石町五七・三%であり、岩手県全県の普及率は四八・四%、全国的には六四・八%で、全国水準からみても、本村は低い普及率である。(四十年は九〇・八%である)。

 本村の生活保護世帯は昭和三十八年百三十八世帯で、その費用は八百五十一万九千円である。同年本村の総世帯数は三千六十六であるから、生活保護世帯は全体の四%位である。

 中学校卒業者の進学率をみると、昭和三十七年は二五・二三%、同三十八年には二七・六九%、同三十九年には三九・五〇%と伸びているから徐々にではあるが生活状態は向上しているものと考えられる。