第二章 氏子

 氏子について、阿部真氏は『研究紀要』第一集で次のごとく述べている。

 農村に於ける同族関係を強化するものに氏子集団がある。この氏子集団は次の三種に分けられる。第一は屋敷神の存在である。これは主として一家のみの信仰の対象になるのであるが、第二にはそれを更に範囲を拡大して同族に於て信仰する氏神である。第三には全部落にその氏子を有する産土神である。この三つの集団は制然と各各の領域を有しているのではなく、その境界が混沌としているのが真の姿である。尚此の外に俗信の対象となるものもあり、それが相交錯しているのが氏子の様相である。屋敷神は一般に各戸にあるが新しい分家に於ては本家のそれをもって代行しているものもある。分家が本家の屋敷神を使用して行くと、やがてそれは第二の段階に達する。つまり氏神としての内容をもつに至る。同族同志にて信仰していた氏神は、やがて同族以外の近隣社会のものへ移行するのが常であるが、現在残っているものは、同族神と近隣社会の氏神としての内容を兼ねそなえている様である。(大釜部落の八幡宮は武田家の屋敷神から範囲が拡大されて大釜全体の信仰する産土神となった。)元来我が国の自然社会の存在するところには必ず其社会の共同を維持する神社が存していた。これは神社といい難い俗信の対象である場合もあり、共同の域にまで行けぬものもあるがいずれにしろ極最近迄は可成りの普遍性をもって存在していたことは明らかなことである。その維持する集団なり、部落なり、又はその家なりの象徴の様に思われて来ている。中には明治の半ば頃より小社が合祀奨励された為に、特定のものに合祀された。祭祀は氏子総代と神官によって一切が計画実施されているが、労力奉仕は成人に委ねられている。費用の捻出は部落内毎戸の定額と成人による奉納物(人数と価額により毎年不定)により、催ものとして神楽・手踊・角力等が行われるが、一切は総代と成人とによってなされる。祭礼は村の最大の行事で個人の私物ではない。従って部落民は氏子として皆参詣する事は最小限度の義務であり、又産土神のかかる行事に参加することは村ずき合いの最小限度の規定なのである。祭礼以外には部落民が私的には参詣をしない。産土神は郷土の神、村の神、部落の神なのであり、部落内の一人一人を守護する場合にも、部落の成員としての個人を守護するので、私的な個人として守護するものではないことを物語っている。

 氏神を中心とする集団は血縁関係の累積によって部落内をうちに結束させる重要なる作用をすると共に、外に対しては堅牢なる城壁を繞らす。この部落をとりまく城壁が遺憾なく露出されたものは学校の統合・位置変更・庁舎の移転等に見られる。

 信仰に基づく集団については、氏子集団の外に檀徒集団がある。これは氏子集団は地域性に立脚して存在しているのに反し、自由にむしろ地域的範囲を超越して存在し、集団的結束や統一に於いては比較にならぬ弱さを示している。農民の心を強く支配しているのが所謂冠婚葬祭であり、その中殊にも葬儀墓地法要の行事については近隣集団としての一機能としてであり、檀徒の集団としてのものではない。このことは神社は一般に地域社会の結束を強化するものに重要な作用をなすのに反し、寺院はむしろ地域社会の構造を毀損に導く作用を有するというべきである。