第五章 盛岡藩治の財政

 新盛岡藩は、新政府下の一行政区として、明治二年(1869年)十月事務を開始したが、この年の年貢諸役金は、従前の例に準じて徴収されると指令されてあったから、旧慣によったものと思われる。

 この年は五月(旧)より天候不順であった。神社に天候快晴を祈願し、御神楽を奉納したが、遂に稀有の凶作となった。当時は未だ行政と祭祀行事を一にしていた。凶作のため年貢歩付に盛岡県松代藩の役人と、新置盛岡藩の役人は、郷村を実地検分し、それによって収納を決定する方針をとっている。また御役金も、十分筋のたつものは、従来の例に準じて徴収している。