第二章 自衛隊

第一節 我国の自衛隊

 わが国の自衛隊は防衛を目的として、自衛隊法により設けられた実力部隊である。昭和二十九年発足し、内閣総理大臣を最高の指揮・監督者とし、その指揮・監督の下に防衛庁長官が隊務を統括し、実際の指揮に当っている。

 自衛隊の成立経過については、昭和二十五年六月、朝鮮戦争の勃発により、当時わが国の治安維持を担当していた占領軍が、国連軍の主力として朝鮮戦線に出動したため、日本国内の治安に空白が生じたのである。これを補うために同八年、連合軍最高指令官マッカーサー元帥の指示により、陸上だけの警察予備隊が設置される。これが今日の自衛隊の先駆である。その後サンフランシスコ講和条約発効に伴い、占領軍は使命を失ったが、日米安全保障条約により、在日米軍として日本に駐留し、同時にアメリカは、共産陣営からの侵略の危険があるとし、直接・間接の侵略に対する日本の自衛力漸増を期待し、日本もこれにこたえて、同年十月、海上兵力をも加えた保安隊に改編したのである。さらに、日米相互防衛援助協定を受ける条件として、防衛力増強にふみきり、昭和二十九年七月自衛隊法を施行、保安隊を改編して、新たに航空兵力を加えた陸・海・空の三軍を整えた自衛隊として発足し今日に至っている。

 自衛隊の任務について、自衛隊法によると、その任務は「わが国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し、わが国を防衛することを任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たる」としてある。これらの任務を遂行するため、防衛出動・治安出動・海上における警備行動、災害派遣・領空侵略に対する措置、関係機関との連絡及び協力など、自衛隊の行動について種々定められている。

 自衛隊の組織と編成を略述すれば下のごとくである。すなわち自衛隊の最高指揮・監督者は内閣総理大臣であるが、これは、あくまで内閣の首長としての自衛隊の最高の指揮・監督にとどまり、実際の指揮監督は防衛庁長官が当たる。ただ防衛出動や治安出動のように、事態が重大で、実力行使のため自衛隊が行動する場合は、内閣総理大臣が直接命令を出す。防衛庁長官の下に、陸・海・空の各幕僚長がいて、その下に、それぞれ各部隊が編成されている。しかし過去のわが国軍隊の苦い経験に照らし、実力をもった各自衛隊が独走することのできないよう、幕僚長は長官の指揮・監督を受け、長官の命令を執行するたてまいとなっている。一方、長官は補佐機関として文官から成る防衛庁の内部部局を別の系統としてもつことにしてある。このことは、過去の日本の軍隊と異なり、できるだけ文民統制の原則を生かそうとするためであるという。

 最後に自衛隊をめぐる憲法問題についてふれてみたい。日本国憲法が、戦争放棄と軍備の不保持を宣言しているため、実質的には軍隊と異ならない自衛隊は、憲法違反ではないかとの議論がくり返されてきた。これに対し、吉田内閣は「憲法第九条は、自衛のためであっても戦力の保持は認めていないが、自衛隊はまだ戦力の域に達していないから憲法違反ではない」と主張し、次の鳩山内閣では解釈が変わり「自衛隊は戦力であるが、憲法第九条は自衛のための戦力をも禁止したのではないから、合憲である」と説明した。以後、政府は両者の折衷的考え方をとり、自衛隊は、我国の自衛権を行使するために存在するものであって、少なくとも攻撃的な戦力ではない、としている。しかし、自衛隊の合憲・違憲をめぐる裁判も行われ、憲法上の争いは、いまだにあとを断たない。

第二節 本村の自衛隊

陸上自衛隊岩手駐屯部隊

 本村の自衛隊誘致については、第七編・第四章・第十三節の九に述べた如く、昭和二十八年雫石・北上・金ガ崎の間に一本木がはいり、誘致運動は仲々困難であった。その上、開田同様、同職の県議及び地元の開拓者の反対があり、さらに、今まで開田に協力した開拓者までが圧迫したのである。県議としての柳村兼吉氏は、一本木部落の陳情にこたえ、防衛庁に働きかけ、同三十年には、一本木に、岩手駐屯部隊として設立が確定し、同三十一年九月上旬起工をおえ、同三十二年七月二十五日業務課編成の完結をみ、三十一日竣工し、翌八月一日開設されたのである。

 昭和四十三年三月の村勢要覧治安中に、自衛隊のことがのっている。すなわち、昭和三十二年八月、陸上自衛隊岩手駐屯部隊は第九混成団の編成とし、第九特科連隊を主力に本村一本木に創設され、青森に本部をもつ第九混成団に所属し、仙台・山形に主力をおく第六管区隊と共に東北方面隊を編成していたが、同三十七年八月十五日改編により、第九師団として新発足をしたのである。

 第九特科連隊第三〇九地区施設隊・岩手駐屯業務諌・第三七二基地通信隊・第三八九会計隊・第三七二警務隊よりなり、開拓者精神を体して全国に有数な自衛隊として活躍している。

 美しい岩手山のすそ野に、敷地面積一、一三二ha、鉄筋コンクリート三階建の隊舎があり、岩手山麓の東側一帯には二、三〇〇haの広大な演習場が広がっている。災害にあたっては知事の要請により、隊員車輌航空機等の派遣がなされ、最近においては、三十六年のチリ・地震津波、三陸フェーン災害、津波・水害・雪害・大火に際し、献身的に活躍をしている。また、第三〇九地区施設隊による委任工事は、施設隊のもつブルトーザー、バケットローター、グレーダー、ダンプカー等の機械力を動員し、本村の学校敷地の造成、岩手山登山道路の改修をはじめ、八幡平の道路新設の外、県下に活躍しており、各市町村より感謝されている。